第18号(2014.9)
- 小嶋洋介
- 鏡の丸い眼 - 『眼と精神』に呈示される〈鏡〉の存在論的パースペクティヴ
- 山倉裕介
- 領野は超越論的か
- 竹谷美佐子
- 踊における運動生成の考察 - 知覚の現象学を手がかりとして
- 川崎唯史
- 社会的な生の悲劇 - メルロ=ポンティにおける社会性の問
- 河合翔
- 「障害と身体の現象学」という可能性 - 当事者が語る脳性まひの身体論
- 廣瀬浩司
- 次元の開けとしての制度化 - メルロ=ポンティの歴史論
- 野間俊一
- 外傷と解離における受動性について
- 加國尚志
- メルロ=ポンティとフロイト - 一九五四‐一九五五年講義「受動性」を中心に
- 亀井大輔
- デリダとメルロ=ポンティにおける制度(化)の問題
- Luca VANZAGO
- Passivity and Time – On Merleau-Ponty’s Lectures on Passivity
第17号(2013.9)
- 佐藤愛
- 無意識における明るさの問題 - E.ミンコフスキーとメルロ=ポンティ
- 柿沼美穂
- 認知バイアスと身体図式 - 人間の認知と身体の関係についての試論
- 玉地雅浩
- 半側空間無視の人はパースペクティブを失うことは出来るのか - メルロ=ポンティの眼差しから考える
- 澤田哲生
- メルロ=ポンティと反遠近法の現象学
- 國領佳樹
- 有意味性の現象学 - メルロ=ポンティとレヴィナスの対立点
- 小手川正次郎
- レヴィナスの「知覚の現象学」 - 『全体性と無限』におけるメルロ=ポンティとの対話
- 佐藤義之
- 「肉」に「外」はあるか
- 村瀬鋼
- メルロ=ポンティとレヴィナス - 身体を考える二つの仕方
- Michael Gillan Peckitt
- My Body is a Prison : Investigating Disability in Philosophy with Maurice Merleau-Ponty and Emmanuel Levinas
第16号(2012.9)
- 山下尚一
- 持続のリズムと歴史のリズム - ベルクソン、ペギー、メルロ=ポンティの時間論
- 重野豊隆
- 「プラセボ反応」についてのひとつの現象学的考察
- 西村ユミ
- 時間経験と看護実践の編成 - 新人看護士の実践に注目して
- 稲原美苗
- 痛みの現象学 - 身体化された語り
- 守田美奈子
- 看取りのケアと間身体性
- 廣瀬浩司
- 実存・無意識・制度 - メルロ=ポンティの正夢論の意義
- 本郷均
- メルロ=ポンティと二分法
第15号(2011.9)
- 岩崎陽子
- 交換の伝播 - 美的感性論拡張の可能性
- 小嶋洋介
- 鏡と渦動 - 《自然の存在学のために》メルロ=ポンティとレオナルド・ダ・ヴィンチ
- 八幡恵一
- 意味と歴史 - メルロ=ポンティにおける二つの歴史性
- 國領佳樹
- メルロ=ポンティにおける注意の現象学
- 大野一道
- ミシュレの革命観 - メルロ=ポンティによる引用から考える
- 安永愛
- ヴァレリーとレオナルド・ダ・ヴィンチ
- エマニュエル・ドゥ・サントベール (北村晋訳)
- 「肉は鏡の現象である」、誤解されている命題の出処と意味
第14号(2010.9)
- 福士侑生
- フェミニズム教育学にむけた身体性 - Gail Weissの身体的命法について
- 河合大介
- メルロ=ポンティとミニマル・アートの理論
- 澤田哲生
- 政治の病理学 - メルロ=ポンティによるサルトル情緒理論の受容をめぐって
- 山倉祐介
- メルロ=ポンティにおける言葉の創造性
- 谷口純子
- アディクションと社会
- 齋藤瞳
- 自然としての身体、文化としての身体
- 宮原優
- 見られるということ - 女性の身体から考える「見られ」の問題
第13号(2009.10)
- 澤田哲生
- メルロ=ポンティとゲルプ・ゴルトシュタイン - 病理的現象の記述に関する方法的考察
- 齋藤瞳
- メルロ=ポンティにおける知覚経験と論理、形式化
- 柿沼美穂
- 生産と受容の立場を超えて - メルロ=ポンティの芸術論がもつ可能性について
- 國領佳樹
- メルロ=ポンティにおける共通感覚 - 再認モデルに抗して
- 山下通
- メルロ=ポンティにおける音響世界の意味
- 本郷均
- 作品/問題の場
- 椎名亮輔
- メルロ=ポンティと音楽美学
- 貫成人
- ダンスをみる〈眼〉
第12号(2007.12)
- 川瀬雅也
- 自然と文化 - メルロ=ポンティとベルクソン
- 村山達哉
- 創造するのとは別の仕方で、あるいは意味の彼方に - ベルクソンとメルロ=ポンティにおける歴史哲学
- 西岡けいこ
- 奥行きに開かれた歴史的身体 - ソルボンヌ教育学講義を起点にメルロ=ポンティを再読する展望のなかで
- 落合芳
- 幼少期・身体・環境 - イディス・コップとメルロ=ポンティ現象学
- 澤田哲生
- 身体図式と断片的な身体 - エレメントの現象学のための一試論
- 八幡恵一
- 次元化について
第11号(2007.9)
- 大滝結
- 無意識の位相
- 原和之
- 「枠」の効果 - ラカンにおける1960年代の視覚装置
- 加賀野井秀一
- 現象学の極限にあるメルロ=ポンティとデリダ
- 加國尚志
- 彼に触れないこと、メルロ=ポンティ -デリダのメルロ=ポンティ読解をめぐって
- 高橋綾
- 幼児の身体知覚 - 身体像と間身体性
- 榊原達哉
- 屋良朝彦『メルロ=ポンティとレヴィナス - 他者への覚醒』を読む
第10号(2006.7)
- 河本英夫
- 身体論の課題
- 檜垣立哉
- ドゥルーズとメルロ=ポンティ - 潜在性の存在論と自然の哲学
- 川瀬智之
- メルロ=ポンティにおける「表現」と「歴史」の思想 - サルトル『文学とは何か』への応答としてのその展開
- 山下尚一
- メルロ=ポンティとブルレにおける時間性の問題
第9号(2005.7)
- 北村晋
- 〈非反省的なもの〉という陥穽
- 野村直正
- 実質的現象学と現象学の諸前提 - 見ることは何を学び直すのか
- 山形頼洋
- 肉と芸術 - メルロ=ポンティとアンリの場合
- 杉本隆久
- 両義性の両義性 - メルロ=ポンティにおける根源としての〈曖昧さ〉
- 岩崎陽子
- メルロ=ポンティの芸術論の可能性 - 現代美術の視点から
- 福田肇
- メルロ=ポンティにおけるコギトと自己意識の問題